安倍晋三政権時,大学教育(高等教育機関)において文系学部は不要だといってのけた自民党的な思考回路の「文教観」は,単に学問・研究に無知なだけでなく,基本から痴呆的であるに過ぎない「貧困の精神」を恥ずかしげもなく露呈させた(その1)

               (2015年8月17日,更新 2021年12月4日)

 2020年10月に表面化した問題,日本学術会議「新会員」の選定に対した菅 義偉首相・官邸側の,極端なまで陰湿・頑迷で,かつ単細胞になる露骨な介入は,自民党政権の極右・反動的な立場・イデオロギーにもとづく「特高警察的な会員の選別・排除」を意味した。

 だが,実際には理屈の面で,文系学部嫌いだときちんと説明できる中身は,なにももちあわせていなかった。単なる見当違いが顕著なだけであったまま,ひたすら無知・反動である学問理解をムキだしにしていた。それも,自民党に固有である前世紀的な頑迷・固陋ぶりを遺憾なく発揮するものであった。

  要点・1 一国首相の知(痴)的水準を正直に反映させた大学教育理念の不在・欠落にみてとれた,自民党的な文教政策の横暴と痴的退廃ぶり

  要点・2 竹内 洋稿「〈辛言直言〉文理のあり方(下)文系の多様な視点,今こそ」『日本経済新聞』2015年8月5日朝刊29面「大学」を素材に議論する

   補注)この「要点・2」は今回の記述には収まらなかったので,「本稿(その2)」を続編にしたて,次回(明日以降)に公表する予定である。


  🌑 前   言  🌑

        ◆〈経済気象台〉政権の政策評価を ◆
    =『朝日新聞』2021年12月4日朝刊12面「経済」=

 日本人は忘れっぽい民族なのだろうか。7年8カ月続いた安倍政権のもとで,いくつもの公約がかかげられた。

 まずはアベノミクス。名目成長率3%,物価上昇率2%,国内総生産(GDP)600兆円の実現。

 1億総活躍,働き方改革。この2つには担当大臣も置かれ,会議も作られて細かな数値目標もかかげられた。

 希望出生率 1.8の実現,介護離職ゼロ,同一労働同一賃金,50万人分の介護サービス基盤の整備,月1万円の介護人材の処遇改善。地域未来塾5千箇所設置なんてのもあった。数え上げたらキリがないほどの「公約」があった。

 補注)アベノミクスに関していまごろになっていうのもなんだが,こうなっていた。消費者物価上昇率2%も,実質GDP(国内総生産)成長率2%も,名目GDP600兆円も,出生率合計特殊出生率)1.8 なども,これら数値目標のほとんどは〔最初から?〕看板倒れに終わっていた。

 だから,途中で(2016年ころからは)GDPの数値を大きく膨らませてみせるための統計イジリをしたりもしていた。国家運営の基礎を判断するためにまとめられている統計を改竄しだした安倍晋三の第2次政権は,まさに「ウソの,ウソによる,ウソのための為政」を,みずから進んで体現していた。

 昨今の行政は,PDCAサイクルだのKPIだのと,目標をかかげてそれが計画通り実施されたかをチェックするシステムが導入されていて,それにもとづいてきびしく評価される。

 補注)PDCAサイクルとは「Plan(計画)⇒ Do(実行)⇒ Check(評価)⇒ Action(改善)」の頭文字を取ったもの。またKPIとは “Key Performance Indicator” の略字で,日本語に訳すと「重要業績評価指標」。これらの用語が日本語ではなく英字・英語で表わされるところがミソ。

 だが,こと政治の世界になると,公約が実現されたかどうかをチェックする仕組みはない。政治こそ結果責任であり,有言実行がきびしく問われるべきはずなのに,である。

 そう思っていたら,安倍政権の看板施策を推進してきた組織(内閣官房に設置された担当室)がいつの間にか廃止されていることをしった。1億総活躍,働き方改革実現,人生100年時代構想,そして統計改革の各推進室である。

 補注)それでまるで,青江三奈の歌『恍惚のブルース』も同然であった。話題を一転させる。2016年2月15日に記述されたあるブログに関した話題であったが,「『保育園落ちた日本死ね』 ブログの本人がいま伝えたいこと『どの党に所属していようが関係ない』」『HUFFPOST』2016年03月14日 19時17分,更新 2016年03月15日 16時24分  を参照しておきたい。この記事の住所は以下である。

〔コラム記事に戻る  ↓  〕

 新政権が新たな課題に取り組むのも結構だが,政権が代わろうと内閣(行政府)は継続している。

 公約は国民との約束なのだから,政権が代わったからしりません,は許されない。総括もせずに組織を廃止しておしまい,というのはあまりにも無責任ではないか。辞めていった前政権も,引き継ごうとしない現政権もいかがなものかと思う。(呉田)(引用終わり)

 安倍晋三が残した「だらけの内政と外交」は,その総括の一片に関してすらまともになされていない。このコラム〈経済気象台〉がいちいち指摘している「アベノミクス」のデタラメミクス性ときたら,そのウソノミクス・アホノミクス・ダメノミクスのあだ花ばかりが全面開花(?)させられただけであって,国民たちにとって必要な施策として実現されたものは,ろくすっぽなかった。だから,アベノミクスに残されたものといったら,アベノマスクの豊富な在庫くらいであった。

 もともと,自身が犯してきた罪科のために2度や3度は逮捕・拘束され,また裁判も受けたうえで終身刑を2度や3度分は判決されて当然である「世襲政治屋の甘ちゃん:ボンボン」が,いまもまだ引退もせずにノウノウと,国会議員のバッジを着けて暮らしている。

 率直にいって,刑務所のなかでその人生をまっとうするのが,もっとも相応な余生の過ごし方であるべき,つまり政治屋としてならば,そのデタラメの極地付近にしかウロツイたことしかなかった安倍晋三が,いまもなお院政の立場を狙って画策したがっている構図は,とりわけこのアベが首相在任中に犯科帳にもしかと記録してきた数々の悪業というものを,彼自身がけっして忘れているわけではない事情を教えている。

 ともかくいまは,この日本の腐りきった為政の継承者は岸田文雄になっている。けれどもこの岸田君が首相になったところで,日本の政治社会のありように特別の変化が生まれるという期待は,けっしてしないほうがいいに決まっている。

【参考画像資料】

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 実際に岸田文雄がこの国の最高指導者になっているけれども,率直にいって,けっこうモノが分かっていない世襲政治屋であった事実ならば,すでにバレていた。その点では安倍晋三となんら差がなかった。11月も末日までにはすでに,日本国内でも,新型コロナウイルスのオミクロンという変異株が発症している。

    ★ 国際線予約停止要請を撤回 岸田首相「帰国需要に配慮を」-新型コロナ ★
 =『時事通信』2021年12月02日12時25分,https://www.jiji.com/jc/article?k=2021120200396&g=pol

 

 国土交通省は〔2021年12月〕2日,新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」の感染拡大を受けた航空会社に対する日本着の国際線の新規予約停止の要請について,一律の要請は取りやめると航空会社に通知した。

 

 日本人の帰国もむずかしくなりかねないと批判が強まり,岸田文雄首相が見直しを指示したことを受けた対応。松野博一官房長官が記者会見で明らかにした

 岸田文雄はこの変異株の登場にさいしてだが,ただちに日本人以外の外国人を入国させないと発表したのである。ところが,数日後にはそれを撤回するなどといった「軽率なチョンボ:凡失」を,いとも簡単に犯していた。

 岸田風の采配に観取できるその軽さをみせつけられて思うのは,「ああ,この世襲政治屋も結局,首相などやらないほうが好ましい人物だったな」という感想である。 

 さて,ここから以下が,本日の「本筋の話題」に戻る。

 --独裁主義的専制志向しか頭中になかった安倍晋三政権時の文教路線は,日本の「知の世界」を根幹から破壊し,「痴が乱舞する」ほかない大学体制を選好する方途をとり,それがために日本の学術研究体制を崩落,余裕させた。実際,その後における日本の大学は「世界順位(ランキング)」でも低下傾向一途をたどってきた。

 補注)関連する最新(本日朝刊が報道した)記事を入れておく。各紙がすべて報道している話題であるが,ここでは『朝日新聞』から紹介しておく。

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 保阪正康『安倍首相の「歴史観」を問う』2015年7月が,安倍晋三を直撃する批判を繰り出していたのは,なぜか。

 1)同書の紹介

 このところ(ここでは “2015年夏のころ” からの意味),この国では「狂気の極右政権」が,身勝手で子供じみた内政・外交を強行する世相をよりあらわにするなか,あらためて「政治(戦争)論」の話題がとりあげられるようになった。

 そこで本日〔2015年8月17日〕は,先日から,とりあげてみたい材料として保留(保存)してあった,『日本経済新聞』の記事-関西大学名誉教授竹内 洋・寄稿-を,ここでとりあげることにし,「大学問題」を再考してみることにした。

 付記)竹内 洋のその寄稿は「本稿・その2」でとりあげるので,本日の記述中にあっては,まだ登場しない。念のため再度断わっておく。

 最近作,保阪正康『安倍首相の「歴史観」を問う』講談社,2015年7月刊は,現状における安倍晋三の政治運営が,戦時中の軍部独裁と同質(同工異曲の体たらく:政治戦略思考欠損)である実態を批判していた。

 安倍晋三の子供じみた執権ぶり,政局の運営に観取できるその狂信的な迷走ぶりときたら,世界中から嗤いモノにもなっていた。にもかかわらず,この首相自身はおおまじめで自分なりにりっぱな政治家としてやっているつもりであった。それだけに,もはやこの国は,救いようのない崖っぷちまで追こまれていた。

 補注 1)その後としての「本日」は2021年12月4日である。だが,この記述が最初の時点で,つまりいまから「4年前に指摘していた」アホノミクスの政治版「アホノポリティックス」の惨状というものが,これは菅 義偉から岸田文夫に継承されるかっこうで,いよいよ「日本沈下の現象」を露わにさせつつある。

 補注 2)すなわち,安倍晋三はともかく2020年9月16日まで首相を勤めてきた。しかし,その足跡を振り返ってみるに,日本の政治・経済・社会をメチャクチャに破壊してきた采配・指揮ぶりを,より確かに思い起こさせる人物だったという以外,適切な表現がみつからない。

 一国の最高指揮者として観察すべき安倍晋三に対する評価を与えるとしたら,しょせん,この「世襲3代目の政治屋」稼業にめだった実績は,私物(死物)化志向の内政が残したモノとしかありえず,非常にミジメだという印象しか抱けない。

 換言すれば,積極的に肯定できる評価項目は皆無であって,いうなれば,子供風にじゃらけつづけてきだただけの「総理大臣であった晋三の下手な演技」しか,われわれの記憶には残っていない。

 安倍晋三がアベでありうるゆえんに言及すると,政治家として与えられるべき最低の資質すら,彼にあってはもともと全的に欠落していた。それでも,このようなボンボンの甘ちゃんが「生粋の世襲3代目政治屋」であった出自ゆえ,この国の最高指導者の地位にまで登りつめることができた。

 そうした日本の政治に特有である構造的・機能的な大欠陥:「世襲政治体制」が抜本から改修されないかぎり,これからも国家そのものの根幹が腐朽してゆき,崩壊していく現象に歯止めはかからない。

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 さて,保阪正康は75歳(これは2015年時点の年齢であるから2021年なら81歳)になった現役のノンフィクション作家である。路線としては穏健な体制派に属する人物である。ところが,このような識者の立場・イデオロギーであっても,安倍晋三の政治にはもうガマンがならぬといった感情ないしは意識を強く抱かさせるほかなかった。ここでとりあげる保阪の近著は公表を急いで上梓したと推察する。

 保阪正康『安倍首相の「歴史観」を問う』の〈販売用の宣伝文句〉を参考にしつつ,この本の意図や概略を紹介してみたい。

 a)  内容説明  「軍服を着た首相」への危惧。安倍首相はかつての軍事指導者に酷似している。現代史研究の第一人者が,戦争と統制に突き進む現政権と,日本社会にはびこる歴史修正主義に根源からの異議を申し立てる。いまこそ昭和史の教訓を活かさなければならない。慰安婦問題を「戦場と性」という視点から再考する瞠目の書き下ろしも収録!

 b)  目 次

  第1章 謙虚に史実と向き合うということ-戦後七十年と安倍政権の歴史観

  第2章 戦後民主主義の崩壊の中で-「戦時体制」にどう抗うべきか-

  第3章 昭和史のかたち-歴史の教訓から現在を解読する-

  第4章 慰安婦問題試論-「軍隊と性」をめぐる歴史的検証について-

 c)  著者紹介  保阪正康[ホサカ・マサヤス]は,1939〔昭和14〕年札幌生まれ,同志社大学文学部社会学科卒業,「昭和史を語り継ぐ会」主宰。昭和史の実証的研究のために,これまでに延べ4千人に聞き書き調査をおこない,独自の執筆活動を続けている。2004〔平成16〕年,個人誌『昭和史講座』刊行の功績で,第52回菊池寛賞受賞。

 d)  出版社内容情報  昭和史研究の第一人者が安倍首相にいだく危惧。戦後70年の談話に歴史の教訓は活かされるか? あえて異をたてざるをえない私の決意。

 昭和20年8月14日の日本を上空から偵察した米軍は驚いたという。降伏が決定し,爆撃を控えたにもかかわらず,日本各地で炎が舞い上がっている。その理由はあとからしることになるが,軍部の命令により戦争史料が徹底的に焼却されていたのである。もちろん,敗戦後に問われる戦争指導の責任追及をかわすためである。

 昭和史の実証的研究のため,残された史料を発掘し,延べ4000人の人びとから直接聞き書きをおこなってきた筆者にとり,近年目につく事実を歪曲・曲解し,自分たちの立場に都合の良いように歴史解釈を図る,いわゆる歴史修正主義の動きはゆゆしき事態である。これまで重ねられてきた歴史学者・研究者の成果と誇りを傷つける動きといってもいい。

 補注)保阪正康が指摘するごとき「歴史修正主義の動き」を主導してきた政治家方面の親玉が,まさしく安倍晋三,しかも小沢一郎からは以前,「幼稚と傲慢」の世襲3代目,単なるボンボン政治家だと酷評されていたのが,このいまの〔前々〕首相である〔であった〕。

 なお,ブログ『くろねこの短語』は「初老の小学生・ペテン総理」と安倍晋三の人物評を規定し,また本ブログ筆者はそれを「幼稚と傲慢・暗愚と無知・欺瞞と粗暴」だと形容してみた。

 安倍晋三平和憲法を破壊し,「戦後レジーム」を否定するのだと叫んできては,この国を19世紀にまで引き戻すことに尽力してきた。いいかえれば,「世襲3代目の政治屋」である自分の立場なりに,その方途に向かい最大限の努力を傾注していた。

 先日〔ここでは2015年の〕8月15日「全国戦没者追悼式」の出来事であった。当時の天皇明仁は,それまで何十年もほとんど変更しなかった,その式で読み上げる「あいさつ(おことば)」の内容(文言)のなかに,若干(ごく一部)ではあったけれども,きわめて重要な含意をこめる一句を追加した。

 相当に婉曲であったけれどもその明仁の意向は,安倍晋三の為政全体を「痛烈に批判」する〈政治行為〉として表明されたことになる。安倍晋三の内政・外交は,1945年8〔9〕月以前の昔を,わざわざ想起させるためを狙っているつもりであって,いってみれば完全に「狂った精神」を基調にしていた。

 しかし,安倍晋三の為政が残してきた結果はきわめて乏しかった。それどころか,とくに外交力の方面をみると,アベは政治屋である彼の実力(?)として必然的ななりゆきであったのだが,結局,なにも「やらずにぼったくられる」だけの交渉力しか,彼には備わってていなかった。この事実は,アメリカのトランプ前大統領やロシアのプーチン大統領の対面交渉を回想すれば,嫌というほど思いしらされる点であった。

 そもそも,安倍晋三自身が唱えていた「美しい国へ」日本を向かわせたいという願望じたいが,2010年代のこの国において展望できる課題たりえていなかった。安倍は,「内政と外交」にかかわる具体的な諸課題を,わずかでも達成させうるための具体的な能力をもたなかった。

 第2次安倍政権になってからの話題としてだが,この国において同政権が歩んできた政治過程をあらためて通観しなおし,はたして,いくらかでも「アベ風に構想できていたらしい〈ふつうの国〉」という風景に近づきえていたのか,と再問してみるのがよい。だが,そのような政治事象に相当する出来事は,いっさい出現しなかった。

 むしろ,そのあたりの政治的な諸課題に関して歴史が進行してきた事態は,こう形容できる。かつて敵国として「鬼畜英米」と憎んだアメリカに対してだが,敗戦後は様変わりしてしまって,その膝下にまとわりつき,しかもひたすら土下座しつづける日本の姿になり変わっていた。

 その種の「敗戦後史としての〈歴史の事実〉」を「歴史の記憶」として,自分自身の精神世界のなかでいつまでも抹消できなかった安倍君は,内政面の采配としてならば,まるで「戦時中の軍部独裁政治」に近似した政治の相貌を創りあげるための努力を重ねてきた。

 戦時中の話となる。あのたいそう能吏ではあったが,国家の最高指導者としては,軍事戦略的に要求される統合的な思考回路と縁遠かった首相東條英機は,憲兵による恫喝政治を併用,実践した。

 2010年代の安倍晋三も,官邸に勤務する国家官僚群として任用した主に治安警察畑出身の高官を,いまの時代において恫喝政治を展開するための兵員として悪用してきた。

 そうかといって,脳細胞の切れ味じたいは,東條英機のほうが安倍晋三とは比較しようもないほど鋭利であった。21世紀に生きるわれわれの立場は「世襲3代目の政治屋」のダメさかげんを集中豪雨的に味わされてきたわけで,まことに迷惑千万。

 その後,安倍晋三のあとには菅 義偉が首相となり,さらにいまは岸田文夫が首相であるが,自民党政治屋の世襲3代目の「丸出だめ夫」的な人材が,このようにつぎつぎと首相にかつがれ登場する日本の政治は,いってみれば,以前からの「末期的な政治としての深刻な症状」が,いつまでもダラダラつづくだけであって,弛緩しきった為政が絶えないでいる。

 2012年12月,旧民主党政権から自民党が政権を奪い返してから足かけ10年が経過した。2011年の「3・11」という「世紀に記録される超大地震の発生」とこれに誘発された「東電福島第1原発の大事故」は,敗戦以降のこの国に対して再びつらい試練を課してきた。

 しかし,安倍晋三は2013年9月,2020東京オリンピックを開催したいがために,IOC(国際オリンピック委員会)誘致会議の舞台において,福島県などが受けている「原発事故災害を完全に無視する演説」をおこなった。

 例の “アンダー・コントロール” 発言は,自国民を棄民あつかいした安倍晋三自身が,世界中に向けて発信した〈人非人〉的の迷文句であった。敗戦時(=戦前レジーム)の旧大日本帝国は,植民地や占領支配地域に残された自国民を「現地化させる意向」,すなわち,実質的に「棄民政策」を表明するという「過去の実績」をもっていた。

 また,敗戦後史のなかにはさらに別に,くわえて「海外移民史の記録」もあった。そうした自国関係の「歴史の事実」は,前段のごとき日本近現代史全体の脈絡に乗せて観察すべき「過去の経歴」である。

 いずれにせよ,第2次安倍政権以降,日本国内は狂気が優勢な政治社会となってしまい,ヘイト感情が平然と放たれ,垂れ流しにされる政治社会へと変化した。正気が正気だとはまともに認められず,それどころか逆さまに,正気が「狂気あつかい」される政治社会の情勢が醸成された。

 〔ここでようやく保阪正康「著」の解説に戻る→〕 そのなかでとくに危惧しなければならないのが,歴史修正主義者たちが権力と一体化している社会〔の風潮〕である。〔2015年〕8月〔14日〕に発表される〔された〕安倍首相の「談話」には,歴史研究からえられた教訓が活かされるのか。世界的に注目を集めるそのステイトメントを前に,昭和史研究の第一人者があえて首相の立ち位置に異を唱える。

 また,従軍慰安婦問題で指弾された朝日新聞の,第三者委員会のメンバーとして同問題の報道を目の当たりにしてきた筆者が,報告書には盛りこめなかった慰安婦問題の本質を書き下ろす。「軍隊と性」「戦場と性」の問題にも深く言及する。保阪正康関係の言及・引用,終わり)

 安倍晋三は2014年夏,朝日新聞従軍慰安婦問題に関して発生させたと解釈した「誤報問題」を奇貨として,従軍慰安婦問題じたいが戦時体制史のなかに実在しなかったかのように猛然と,しかもこの新聞社を潰したいかの勢いで攻勢をしかけた。

 この安倍晋三など歴史修正主義者の口先から飛び出てきた主張は,反知性主義の典型見本であった。この従軍慰安婦問題が世間を騒がしてから,3年ばかり時間が経ったころであった。

 やはり官邸付きの治安警察上がりの官僚が仕組んだ謀略(でっち上げ:フレームアップ)にやられそうになった,当時の文部科学省事務次官前川喜平は,「あったことをなかったことにはできない」といってのけ,安倍政権側の狡猾な策謀を批判したこともあった。

 前川喜平は,国家官僚であった自分の人生の舞台においては,「面従腹背」を職務遂行にあたっての原則にして行動してきたと,みずから説明していた。この人物をして完全に「反・アベ」の立場に追いやった経緯は,ある種の皮肉なめぐりあわせを教示する。

 2)「軍服を着た安倍晋三首相」の勇姿(自覚のない錯乱)

 安倍晋三風の観念的な狂気乱舞という事象はつねに,「歴史の事実」にもとづいて歴史を語るのではなく,その断片をめぐる観念の盲信をもってその「歴史の事実」さえも全面否定し,葬り去ることができるかのように,それも権力の座を悪用して暴力的に迫る。

 その観念の操作をとらえて保阪正康がまさに,安倍晋三を「軍服を着た首相」だと批判したのは至言である。

 東條英機ほど単細胞的な能吏でもないし,石原莞爾ほど機知に富んだ英才でもありえなかった安倍晋三である。おまけに,岸 信介(母方の祖父)ほどに〈辣腕の政治家〉でありうるための才知の片鱗すらなかった。

 しかも,凡庸だったさえ形容するに値しなかった元首相の安倍晋三は,この国をさんざん破壊してきた事実に関してならば,とてつもなく大きな仕事をなしとげた。

 歴代の首相のなかには,実にろくでもない人物が大勢いた。だがそれでも,この安倍晋三君となるや,その不出来の具合は格別であった。

 安倍晋三君が破壊してきた相手:対象はもちろん,この国における民主主義体制である。日本国憲法のなかにもともと残されていた「封建遺制的な政治要因」を意識してなのか,安倍は解釈憲法の手法を借りながら,この国の民主政精神を確実に倒壊させた。

 ところで戦争中の大日本帝国は,文系の大学が戦時体制には役に立たない高等教育機関だとみなし,理工系の大学・学部・学科に編成替えするように強制してきた。現在の理工系の大学・学部のなかには,戦時体制期に設立された由来をもつものも多くある。

 東京帝国大学には,いまはその後継学部そのものは存在しないが,戦時期に『第二工学部』が急遽設立されていた。

 補注)関連の最近作として,大山達雄・前田 正史編『東京大学第二工学部の光芒-現代高等教育への示唆-』東京大学出版会,2014年がある。既刊書としては,今岡和彦『東京大学第二工学部講談社,1987年があった。
 
 日本の高等教育制度史全般については天野郁夫が著作を量産してきた。ここでは『大学の誕生 上・下』中央公論新社,2009年のみ挙げておく。本書・下巻末尾には主要関連文献が一覧されている。

 またここでは,蜷川壽惠『学徒出陣-戦争と青春-』吉川弘文館,1998年から以下の引用をしておく。

 昭和18年9月21日の閣議で決定された「現情勢下に於ける国政運営要綱」では「国内態勢強化方策」として国民動員の徹底を図ることが示され,兵役に関する徴集延期を停止して,理科系学生には徴兵検査のうえ入営延期の措置を執ることが定められていた。

  (中略)

 昭和20年に入って戦況が急激に悪化し,空襲が激化して本土決戦も避けられない醸成になると,決戦教育措置要綱が出されて,この年4月から国民学校初等科以外の授業が1年刊停止されることになった。大学でも特定の学科以外は教育や研究を続けることができなくなったのである。教育は学徒出陣を境に破局の道を進んでいった。

 註記)蜷川,前掲書,39頁。

 この引用は,あの戦争がどん詰まり状態になった時期,高等教育の実情に触れている。理工系の学生は「戦争に役立つ勉学」をしているという理由をもって,その他の学部の学生が徴兵されるごとき戦況不利な世相のなかで,彼らの徴兵だけは先延ばしにされていた。

 前段の話は,いまから70〔76〕年以上も昔の話題であるが,21世紀の最近に関してまったく縁のない「歴史の事実」ではない。安倍晋三のウロンで粗暴な為政ぶりをみせつけられきたわれわれは,あの戦争の時代を瞬時に彷彿させられた。

 補注)それでは,文系の学部に所属する学生が「戦争に役立つ勉学」をしていないといえるか? この答えは否である。戦争の問題をめぐり,このように理系と文系を別離させ裁断してする理解は,そもそもの学問論として未熟であり,認識不足であった。

 戦前・戦中の大日本帝国が「国家総動員法」を成立・施行したさい(1938年第1次近衛内閣が第73帝国議会に提出し,同年4月1日に公布・制定),この法律が「理系と文系の区分」を「役立つか否か」で判断していたとしたら,そこには,1945年夏の「敗戦」につらなる〈なにもの〉かを潜在させていたと解釈できる。

 その種の議論はさておいても,科学技術問題に対する認識として理系,文系の区別に異様なまでにこだわる理解には,まえもって注意が必要である。

 もう1点。敗戦後もだいぶ時間が経過してきたからといって,「戦争をしらない僕たち」などとのんきな反応をもっともらしくもちだす意識は,不要・無用である。

 敗戦後史のなかでそうした歌がはやった事実そのものに関する記憶が,21世紀の現時点においてはもちろん過去の思い出となっている。だからといっても,この点「戦争をしらない・・・」については,なお用心が必要である。

 2011年「3・11」の東電福島第1原発大事故をとらえ,これを「第2の敗戦」と修辞する識者がいた。安倍晋三の立場に控えているらしい歴史の認識は,敗戦も原発事故も正視したくないものゆえ,20世紀後半から21世紀初頭までの現代日本史は,彼の網膜にはまともに映るわけがなかったい。

 3)けれども「戦後レジーム」が否定できず,いつまでもジレンマ状態の安倍晋三

 ある意味でいえば,安倍晋三は「戦後レジーム」を否定して排除できる条件を,その一部に関してだけは獲得できていた。だが,この「獲得の様子」でさえ実は,今世紀においてもまだ「現代帝国であるアメリカ」の子分「日本国」に特有である立場によって実現できていたに過ぎない。

 だから,安倍自身にとってみれば--現在も同じ状況だといっていいが--,この日本を囲む国際政治・経済環境は,けっして喜べるような現実にはなかったはずである。当人が理解できているか否かを問わず,そのように断わっておく余地があった。

 大日本帝国時代の政府・内閣は,それなりに主体性をもって国際政治に対面してきた。だが,敗戦後における日本国のとくに安倍晋三の第2次政権からは,結局,「アメリカさまの走狗」とみるほかない盲従ぶりに徹してきた。

 アベが首相であった時期においてはとくにそれ相応に,宗主国プロデューサーに演技を指導されるほかない経緯になっていたが,本当に「バカ殿風のご乱心ぶりを披瀝していた」。

 安倍晋三がつとに強調してきた『「戦後レジームからの脱却」の立場』にこだわりたいのであれば,現状のごときにアメリカの舎弟に位置したこの国の立場は,どうしても我慢ならぬ「実際の立ち位置」であった。

 ところが,この安倍は「防衛省自衛隊3軍」がになうべき「米軍のふんどし担ぎの役目」を,さらにしっかりとテイネイに果たさせるために,すなわち「対米服属である日本の立場」を喜んで受けるかっこうで受けとめ,さらに確実にになってきた。

 そのように,実質において実現させられてきた『防衛省自衛隊3軍』の対米関連における「軍事的な意義づけ:序列づけ」が,はたして「日本の自衛隊・員の尊厳と自負心」を,本当に堅持させえ昂揚できているなどと,誇りをもって語れるのか。

 もっとも自衛隊統合幕僚長体験者のなかには,このように批判されても「カエルのつらになんとか」の人物もいるほどだから,その対米従属根性の無限性とみたら,際限がないようにも感じられる。

 補注)『しんぶん赤旗』2017年5月25日の記事が,当時の話題として「陸海空の全自衛隊を統括する河野克俊統合幕僚長」が「安倍改憲発言に『ありがたい』」と発言した点をとりあげ,この河野「統幕長〔が放った〕暴言に批判」をくわえた。

 

 河野克俊のその発言は「憲法自衛隊法に違反」すると批難したのである。この批判は法律論として全面的に合理性のある説明であった。勉強不足の無知な軍人が国を滅ぼす役割も果たすことには,一般の国民・市民の側からも警戒して監視する必要がある。

 

 

 当時の河野克俊統合幕僚長は,首相の安倍晋三によって任期を通常よりも長く,なんども延長してもらっていたという事情にあった。さらには “シビリアンコントロール” の問題をよく理解できていない軍人であった。

 

 以上の理由があってか,自身が「法令(自衛隊法施行令)で定める定年年齢(62歳)を越えたあと」にも,「3度の定年延長を経て統合幕僚長の地位に留ま」ることを実現させてくれたこの首相に対してとならばこそ,ゴマすり精神をより厚く発揮させていたわけである。

 

 河野克俊(1954年11月生まれ)は,2014年10月に統合幕僚長に就任していた。統幕長の定年である62歳を迎えた2016年11月と,そして2017年5月の2度,自衛隊法の規定にもとづき半年間と1年間の任期延長がなされていた。

 

 さらには,2019年の5月まで1年間,3度目の延長がなされていた。これが,河野が安倍晋三に対して,一生懸命にゴマを擦っておくべき「必然の経緯」「発生」を意味した。

 つまるところ,敗戦以前の旧・大日本帝国陸海軍の時代のように「生き生きとしえている」実体を探してみると,現在においての日本軍:自衛隊の実体は,どうみても「旭日旗」にしか,みいだしえなくなったのではないか。

 あの戦争中,世の中のすべてが「戦争のためにだけある」「国の造り:あり方」に向かい,根幹まで完全に転換するよう強制されていた。敗戦から67年が経った時点,2012年12月に発足した安倍晋三の第2次政権が,その執権の期間中に,いったいなにをやってきたといえるのか?

 いま〔もともとこの記述は2015年8月17日に書いていたので,ここでの「いま」とはその日付になる〕,安保関連法案が参議院まで送られ,成立させられようとしている。2014年7月1日には集団的自衛権行使容認を閣議決定しており,すでに特定秘密保護法を2014年12月10日に施行させていた。国家安全保障会議も設置させている。武器輸出禁止3原則も完全に骨抜きにしてきた。

 以上のような内政の「実績」を積みあげてきた安倍晋三であったが,それではそれらの法制を適用して実際にはなにを実現したかったのかといえば,かつての大日本帝国の真似ごとを表層的には演技しつつも,結局は,アメリカという現代帝国の家来に徹すべき「この国の立場」を,さらに強化していくことでしかなかった。

 21世紀における「対米従属外交」,「宗主国アメリカに服属する日本」という米日間の国際政治は,これからも “永遠に不滅です” ということになるのか?
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【未 完】「本稿・その2」は出来しだい,ここ(  ↓  )に住所のリンクを指示する。

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